この本は動かない。いつも同じところにある。
今回、また新たに久しぶりに読んだわけだけど、15歳ではじめてこの本に出会ってからもう何十回も読み返していると思う。それはたぶん、ホールデン・コールフィールドという少年に私が恋とも友情とも違う何かもっと特別な親しみを持っているからだと思う。本当のところ、ホールデンが話しかけるyouが私だと感じた瞬間からずっと、ホールデンと私の間には親密な関係があるんじゃないかと思っている。だから、ひとりでニューヨークに行ってセントラルパークのアヒルがどうしているかをこの目で見に行ったり、赤いハンチング帽をかぶった男の子に恋しちゃったりと、この世界にいるかもしれないホールデンを探したりした。でもやっぱり、ホールデンは永遠の15歳でクリスマス前の3日間しかニューヨークを彷徨うことはないんだと思う。
もし私がクリスマス前の3日間のニューヨークに行ってホールデンに出会えるなら、それは多分、彼が降りたタクシーを入れ違いで私が拾うとか、ホテルのロビーで座っている彼の後ろを気づかずに通り過ぎるとか(多分そのときは赤いハンチング帽なんてかぶってないと思うから)、ラジオシティーのスケートリンクを上から眺める何百もの見物人のひとりとか(サリーがいるところに話しかけにいくなんて絶対に、死んでもできないだろうし)で、でも回転木馬のチケット売り場の売り子としているくらいならできるかなと思う、現実問題。仮にキャチャーインザライが映画化されるなら、私は絶対この回転木馬のチケット売り場の売り子を希望する。なにがなんでもなりたいと言うと思う。たぶん、そんなに流暢な英語が話せなくてもいいだろうし、回転木馬のチケット売り場の売り子としてはそれ程年をとってもないし、若すぎてもないと思う。ただ寒いのが嫌いだから、一日中ユキの積もったセントラルパークで子供たち相手にチケットを売り続けることができるかはあんまり私としては現実的でないかも。だから映画のなかだけの話。とにかく映画化されるとかなんかだったらこの役がいいとか、ただそれだけの話。まぁ絶対ないだろうけど。でも、バケツをひっくり返したような雨のなかホールデンがひとりで傘もささず赤いハンチング帽をかぶって回転木馬を見ながら立っていて、私がそれをこの目で見たら、言葉で表せないくらい、どうしようもなく、彼を、愛おしく、思った、であろうというのが簡単に想像できる。回転木馬の売り子の立場で!
ところで、このシーン、今回発見したことがひとつ。雨が降るよりほんの少し前。ライ麦畑で崖から落ちそうになる子どもを捕まえるキャッチャーになりたいというホールデンが、金の輪っかを取ろうとして回転木馬から落ちそうになるフィービーや他の子ども達を何もせずに見ているということ。
ライ麦畑のキャッチャーになるには、そこにいる子ども達を捕まえられるほど十分に大きくなくてはならないし、子ども達より立場が上でなくてはならない。だって同じ立場だったら崖から落ちそうになる子を助けるとかいうだろうし。大人と子どもの境目、切り立った崖を背にしてそのギリギリのところに立っているホールデンの姿がそこにある。彼はそこに立っている。その眼には子ども達の姿が、その奥では自分も落ちるかもしれないという恐怖の影がみえる。で、回転木馬のシーン。ここでは彼は、キャッチャーじゃなくてウォッチャーになるんだよね。ただ見てるだけ。もし落ちたらそのときのことじゃん、でも見てるからさ、って感じで。そしたらバケツをひっくり返したように雨が落ちてきて、彼はハッピーな気持ちになる。ずぶ濡れになる。でも赤いハンチング帽のおかげで顔は濡れない。彼はハッピー。
そういうことで、またホールデンが愛おしくなってしまった。
その他にも彼がクルーカットだった(このことは私にとってかなり衝撃だった。だって8年間も!8年間もの間、私は彼をボサボサに伸びきった一見冴えないけど、今で言う無造作ヘアーのように雰囲気を醸し出す素敵な髪型だと思っていたから。ハンチング帽から襟足のところが反抗的にはみ出して、行き場のなくなったその髪は首の上でカールを描いた形でしかいられないようになっているのを想像していたから。若干の(というかかなりの!)ショックである。)こととか気づいたことはたくさんあったけど、もうここには書かない。
いつもいつもいっつも、この本を読んだ後には無性に誰かに電話したくなる。